大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 平成5年(ネ)485号 判決

事実及び理由

第四 当裁判所の判断

一  はじめに

被控訴人が、昭和六三年九月二二日、当時在籍し通学していた本件学校内において本件傷害を受けた事実は当事者間に争いがないところ、被控訴人は、本件傷害は、補助参加人が被控訴人を準備室に連れ込み、同所で、被控訴人着用のズボンを後ろから脱がし、性器を手で強く押さえつけ、さらに、被控訴人の右目に手指を強く押しつけるとの本件体罰を加えた結果生じたものであると主張するのに対し、控訴人及び補助参加人はこれを争い、被控訴人の本件傷害は、補助参加人が、当日、午前中の授業において集中力を欠いていた被控訴人に対し、個別指導を行うため、昼休みの時間中に被控訴人を生活訓練室に連れて行き、対座した際に、訴控訴人の右眼の白眼部分の外側の赤い斑点として発見したものであり、本件体罰の結果ではない旨主張する。

ところで、被控訴人主張の本件体罰の事実を直接証明する証拠としては、これを目撃したという第三者証人はおらず、被控訴人が援用する、<1>被控訴人の父である好彦が、昭和六三年九月二五日の夜、被控訴人と風呂に入っている際に、被控訴人から本件体罰について話すのを聞いたとする伝聞供述、<2>被控訴人の母である節が、同年一〇月一日に、被控訴人に尋ねて聞き取ったとする伝聞供述、<3>被控訴人の3・3供述及び<4>被控訴人の4・3供述があるのみである。

そうすると、本件においては、被控訴人主張の本件体罰の事実に関する被控訴人の右各供述内容が、その内容に照らし、補助参加人の反対供述を排斥し得るほどに説得力があり、信用するに足りるものであるか、また、前後の事情と矛盾する点はなく、さらには、これを裏付けるに足りる客観的な証拠があるかなどの点が問題となる。

そこで、以下においては、まず、本件体罰の当日の前後の経緯を検討した上で、右の各点につき、順次、検討を進めることにする。

二  本件の経緯等

そこで、まず、本件体罰の事実を除き、被控訴人が本件傷害を受けた日である昭和六三年九月二二日までの経緯、当日の様子及びその後の経緯等を検討する。〔証拠略〕を総合すると、次のとおり認めることができる。

1  昭和六三年九月二二日の午前中の授業について

昭和六三年九月二二日(木曜日)午前中、被控訴人は、本件学校一階窯業室において他の八名の生徒と共に職業・家庭科の窯業の授業を受けた。担当教諭は、補助参加人、五十嵐教諭、津金教諭の三名であり、授業内容はワセリンを塗った木型に粘土を押し込み、めん棒で粘土をならすというものであった。ところが、被控訴人は、右授業中、集中力を欠き、しゃべり続けて、木型にワセリンを塗ることができず、補助参加人らが何度も注意したが、作業を続けようとすることはなかった。

なお、午前中の授業の間に、被控訴人の右眼に異常があることに気付いた者はいなかった。

2  昼休み時間中の三階への移動について

(一)  被控訴人は、午前の授業終了後は、二階教室に戻り、昼食を終え、掃除をした後は遊んでいた。

(二)  補助参加人は、被控訴人が中等部三学年在学時の担当であった五十嵐教諭から、被控訴人は一人で落ち着いてやらせればできる旨を聞いていたので、午後の職業家庭科の授業に先立ち、午後一時までの昼休みの時間を利用して、被控訴人に対する個別指導を行うこととし、その旨を五十嵐、津金の各教諭に伝えた上、一二時四五分ころ、被控訴人に一緒に来るように声を掛け、本件学校三階の生活訓練室へ被控訴人を連れて行った。なお、補助参加人は、同年四月から被控訴人を担当するようになったもので、一学期においても、被控訴人が集中力を欠くとして一対一の指導をしたことがあったが、休み時間中に個別指導をしたことはなかった。

(三)  本件学校三階における、本件の争点である、補助参加人による本件体罰の有無については、後で論じるとおりである。

3  本件傷害の発見とその後の措置について

(一)  補助参加人は、生活訓練室において、被控訴人の右眼の白目部分の外側に直径一、二ミリ程度の出血点があるのに気付いたので、被控訴人を連れて本件学校二階に降りて、一二時五〇分ころ担任の一人である森田教諭に被控訴人の右眼を見せ、その後、学年主任の小出教諭(以下「小出主任」ともいう。)にも連絡した。小出主任は、被控訴人の右眼を確認してから、被控訴人を一階にある職員室に連れて行き、安井養護教諭にも見せた上、同教諭とともに被控訴人に対し、本件傷害の原因を質問を変えて何度も尋ねたが、被控訴人からの返答はなかった。その間、被控訴人が泣いたり、興奮したりすることは見られず、普段のとおりであり、痛がっている様子も観察されていない。

(二)  小出主任は、被控訴人が弱視であることを顧慮し、午後一時ころ、電話で節に連絡を取り、被控訴人の右眼の白眼部分に出血があることを告げたところ、節は、学校において眼科医の診療を受けさせるよう求めた。これに対し、小出主任は、眼科の校医は診療時間外で受診できず、本件学校近くの大島病院には眼科がないとの返答をしたところ、節は、被控訴人を自分で眼科に連れていく旨答え、被控訴人を迎えに本件学校に向かった。なお、右電話の際、小出主任は、朝自宅を出るときに被控訴人の右眼に異常があったかどうかを尋ねたが、節は、自宅を出るときには異常はなかった旨返答している。

(三)  節は、通常の迎えの時間よりは早く午後一時四五分ころ本件学校に到着し、小出主任らに右出血について原因を尋ねたが、小出主任らはその原因は不明であると回答した。節は、また、被控訴人が高等部一学年在学中に同級生の蔵政貴としばしばプロレスごっこをして、怪我をしたことがあったことから、補助参加人に対し、「今でもプロレスをやっていますか。」と尋ねたところ、同人からは「最近でもレスリングをやっているようです。」との返事があった。そこで、節は、その場では、今回もプロレスごっこが本件傷害の原因であろうと判断した。

(四)  節は、午後二時二〇分ころ、被控訴人を南生協病院に連れて行き、同病院の眼科で受診させた。城山医師は、右眼の白目部分の外側(耳側)に直径三ミリ程度の出血点を認め、右眼結膜下出血と診断した。その際、城山医師は、節から被控訴人の本件傷害の原因はプロレスごっこであると聞き、「右眼球打撲症の疑い」と記載した上、この見地からも診察したが、右出血点以外には眼底及び結膜等に打撲症特有の症状をみとめなかったため(ただし、カルテ上、眼底の診察に際し、被控訴人が患者として協力してくれなかった旨の記載がある。)、城山医師としては、「右眼球打撲症」の診断名を確定するまでには至らなかった。城山医師は、当日の治療としては点眼薬を二種類投与したのみで、被控訴人に一週間後の再度来院を指示した。

なお、右診療の間被控訴人が痛みを訴えたり、興奮したりすることはなかった。

4  翌日以降の状況

(一)  被控訴人は、次の登校日である同年九月二四日(土曜日、なお、九月二三日は秋分の日)には登校せず、同月二六日の月曜日に登校した。節は、登校する被控訴人に付き添って本件学校に行き、午前九時四〇分ころから長時間かけて小出主任に対し、<1>被控訴人がもともと弱視なのに本件学校側が被控訴人の本件傷害を発見しても直ぐに病院に連れて行かなかったばかりか、<2>被控訴人の怪我の状態についても全く心配していないのは不当である、<3>学校側がプロレスごっこを見落としている等と抗議した。

また、好彦も同日午後、本件学校に出向き、牧野教頭及び小出主任、補助参加人、伊藤、河合、佐藤の五名の担当教諭と面談し、<1>プロレスごっこ防止対策が十分なされていないこと、<2>被控訴人を医者に連れていかなかったこと、<3>学校側が被控訴人の怪我を心配していないことにつき抗議するとともに、本件傷害が学校内の事故によるものであることを認めるように求めた。これに対し、本件学校側は、好彦の求めに応じて、原因自体は不明であるとしながらも学校内の事故であることは認めた上、怪我の原因を調査し、併せて今後の事故防止対策を検討した上で、書面で連絡する旨を約束した。

(二)  その後、牧野教頭、小島教務主任及び小出主任は、菓子折りを持参して被控訴人方を訪問したが、不在のため、菓子折り及び牧野教頭の名刺を置いて帰った。右菓子折りは、翌二七日、節によって学校側に持参返却された。

(三)  本件学校において、同年九月二八日に運動会が行われたが、好彦は、当日、本件学校側に改めて正式な文書による回答を要求した。

(四)  本件学校側は、同年一〇月三日に、右の回答として、小出主任外担任一同の作成した文書(〔証拠略〕)を、好彦、節に交付したが、同人らは、右文書には本件傷害の原因について全く触れられていないこと等から、不十分な内容の回答であるとして、再度、本件学校側に対し、本件怪我の原因について調査した上で文書で回答するよう要求し、右文書のコピーを取った上、破った原本を本件学校側に返還した。

(五)  本件学校側は、同年一〇月中旬ころ、校長と好彦、節との直接の面談を希望したが、好彦、節は拒否した。

(六)  本件学校側は、同年一〇月三一日、再度、小出外担当一同の作成した文書(〔証拠略〕)を好彦、節に交付した。

(七)  被控訴人は、本件受傷後も引き続き補助参加人の担当する窯業の授業を受けていたが、右授業中補助参加人を怖がるような様子は特に観察されていない。また、好彦、節も、この間、補助参加人担当授業のある日に被控訴人を休ませるなど、補助参加人から被控訴人を遠ざけるような措置をとったことはない。

(八)  本件学校においては、同年一一月一日、二日に大高緑地公園の青年の家において宿泊学習が行われたが、好彦、節は、右宿泊学習に補助参加人も同行し、同じ部屋に寝泊まりすることを知っていたが、被控訴人を欠席させることなく、これに参加させた。

(九)  ところで、好彦、節は、本訴において、本件体罰の事実を被控訴人から聞いて知ったのは、同年九月二五日であるとするが、その時から同年一一月一〇日までの間は、これを学校側に伝えるとか、本件体罰を理由として抗議するとかの行動に出たことはない。そして、同年一一月一〇日、本件学校の校長、小出主任及び担任教諭ら五名の来訪を受けた際、その席で、好彦、節は、被控訴人の本件傷害が補助参加人の本件体罰によるものであると認識していることを初めて明らかにした。

これに対し、本件学校側は、その事実を否定した。

(十)  本件学校側は、被控訴人の職業・家庭の科目に関し、同年一一月一一日から、被控訴人を補助参加人の担当する窯業のグループから外し、佐藤ゆう子教諭担当の紙漉きグループに移した。

(十一)  本件学校の校長は、その後補助参加人から被控訴人の本件受傷当日の状況を改めて聴取した上、同年一一月一四日に至り、被控訴人方に「補助参加人に事情を聞いたが、やっていないという以上、学校側としては体罰の事実はないと考える。」旨を電話し、本件傷害の原因に関する調査は打ち切った。

以上のとおり認めることができる。

三  そこで、以下においては、前記認定の経緯のもとで、好彦、節の伝聞供述、被控訴人の3・3供述及び4・3供述の信用性を、まず各別に、次いでこれらを総合して、検討してみることとする。

1  好彦による被控訴人の伝聞供述について

原審証人上村好彦は、昭和六三年九月二五日の夜、被控訴人と風呂に入った際、好彦が本件傷害に関して、どうしてプロレスごっこをしたのかと尋ねたところ、被控訴人がプロレスごっこはやっていない旨答えたので、「じゃあ、どうしてこうなったの?」と聞いたところ、被控訴人は何も答えなかったが、好彦がさらに「じゃあ、誰がやったの?」と聞いたところ、その時に初めて「先生だよ。」と答えたので「じゃあ、何て先生?」と聞くと「村山先生だ。」と答えたのだというものであり、当日はそれ以上詳しい内容は聞かなかったというものである。

しかしながら、右供述はただ単にそれだけのものであって、具体性に欠けるのみならず、しかも、それが伝聞であることをも考慮すると、右供述のみでは、本件体罰の証拠として十分であるとは到底いえない。のみならず、好彦が仮に右のとおり被控訴人から聞き出したとすると、右の質問の仕方にはプロレスごっこによって怪我をしたことを非難するニュアンスがあると認められることからして、被控訴人が、父からプロレスごっこを叱られた言い訳として、眼の異常の第一発見者に過ぎない補助参加人の名を出したとの疑念を払拭することができないところである。さらに、両親が、右供述により、本件傷害を負った原因が補助参加人にあることを知ったとすると、翌二六日、節は登校する被控訴人に付き添って本件学校に行き、小出主任に対し、<1>被控訴人がもともと弱視なのに本件学校側が被控訴人の右眼の本件傷害を発見してもすぐに病院に連れていかなかったこと、<2>その後被控訴人の症状を心配していないこと、及び<3>本件学校内におけるプロレスごっこ防止対策が十分でないことを抗議したこと、また、同日午後、本件学校に赴いた好彦が牧野教頭及び小出、補助参加人、伊藤、河合、佐藤の五名の担任と面談し、右の各点につき抗議した上、被控訴人の本件傷害が学校内の事故によるものであることを認めさせようとしたことについては、たとえ、両親の、<1>被控訴人が詳しい事情を未だ話していなかったことと、<2>事件があやふやなままに処理されてしまうことを恐れ、本件学校側が被控訴人の本件傷害の原因について調査して書面で回答してくるまでは補助参加人による体罰の事実を明らかにしないことにした、との弁解を考慮しても、既に被控訴人から補助参加人の体罰の話を聞いて憤激していた両親が、学校側のプロレスごっこ防止対策が十分でないことを殊更に追及し、また、学校内の事故による負傷であることを認めようとしない学校側の態度に更に立腹したにもかかわらず、その事実を隠して事故の原因等を書面にして渡すように抗議をしたことに、不自然さがあることは否定できない。

2  節による被控訴人の伝聞供述について

原審証人上村節は、昭和六三年一〇月一日に被控訴人から事件当日の様子を聞き出したところ、補助参加人が、手指で被控訴人の目に暴行を加えたほかに、これに先立って被控訴人のズボンを下ろして性器に対し暴行を加えたことを知った旨供述する。

しかしながら、右供述は伝聞である上、断片的で飛躍ないし無意味な発言の多い被控訴人の供述を一貫した意味有るものとして理解するためには、聞き手側の解釈が介入する余地が多いことも否定できないところであるから、節による被控訴人の伝聞供述のみでは、本件体罰の証拠として十分であるとはいえない。

のみならず、節の右供述によれば、節は、本件体罰が、被控訴人の目に対するものでなく、ズボンを下ろして性器に暴行を加えるとの、相当に衝撃の大きいと思われる話を被控訴人から聞いたというのであり、しかも前日の九月三〇日には二度目の性器への暴行の事実があったとの話も聞いて慄然としたというのであり、さらには、補助参加人担当の授業のある日には、被控訴人が補助参加人を怖がって登校を渋ったともいうのであるから、被控訴人の学校内での負傷(高等部一学年在学時)に関する本件学校側の対応の仕方に、既に不満を持つ節としては、学校側に対し、補助参加人による体罰についてその事実の確認を求め、補助参加人を担任から排除することを求めるなど、補助参加人による本件体罰が行われたことを表明して対応を求めても不自然ではないと考えられるのに、そのような行動に出ていないこと、また、同年一一月一、二日に大高緑地における宿泊学習においては、夜間、補助参加人が被控訴人と同宿する予定になっていることを知ったのであるから、節としては、被控訴人を被告から守るためには本件学校側に善処方を申し入れてもしかるべきであるのに、そのような対策を講じた形跡のないこと、さらに、節は被控訴人が登校を渋るほど補助参加人を怖がっていたというが、被控訴人が本件学校内において、客観的に見てそのような様子であったとは認められないこと等、節の右供述及び本件受傷の原因を知った後の節の行動には、なお、疑問の点が残るものといわなければならない。

3  3・3供述について

〔証拠略〕は、平成元年三月三日名古屋第一法律事務所において、被控訴人、節、被控訴人訴訟代理人弁護士の田原及び中谷が集まり、被控訴人から聞き取りをした際の録音テープを反訳したものであるが、これによれば、中谷が被控訴人から事情を聞く形ではあるが、側にいる節が、ある時は中谷に代わり被控訴人の答えを促したり、またある時は、被控訴人に代わり答えるなどしたものであり、それらの断片的な供述をつなぎ合わせると、補助参加人から準備室または着替えの部屋に連れて行かれて、同所でズボンをおろされて性器を握られ、眼を押さえられて、その後、職員室に行った、とも解釈しうる内容の供述を被控訴人から得ていること、しかし、右供述は、被控訴人が単独で述べたというよりも、節と被控訴人がむしろ一体となって述べている傾向のあるものであって、例えば、中谷の質問が終わった後の田原が「今言われた、その、ワセリンがうまく塗れない人は帰って行きなさいって言うのは、どういう意味なのかな?」と尋ね、節が「あっ、意味はね、私も…」と答えかけると、被控訴人が、自らの発言の意味を理解してのものとは思えないのに、おおむがえしに言葉を続けて「意味はね、私もわからないんだけど。」と応答している部分があることが認められる。

右に見たとおり、被控訴人の3・3供述は、対立当事者のいない場所における聞き取り調査であるにもかかわらず、その供述は、断片的である上、被控訴人が自ら述べると言うよりは、節に促されて、その意に沿うかのように(さらには、右の例のようにおうむがえしに)述べているものであって、これだけでは、本件体罰の事実を認めるのに十分であるとはいえない。

4  4・3供述について

(一)  〔証拠略〕によれば、平成元年四月三日に本件学校において、本件学校側においては校長、教頭、小出、佐藤、森田、伊藤の各教諭が出席し、被控訴人側は、被控訴人訴訟代理人弁護士の田原、中谷、節が出席して、被控訴人本人から本件事件当日について聞き取った際に、被控訴人本人が本件事故について述べたことが認められ、その内容は、次のとおりと認められる。

(1) 被控訴人に対する質問は、まず、中谷が行った。

中谷の「目を怪我したことがありましたか?」との問いに対し、被控訴人は「あったね?」と反復したが、「目を怪我した時のことを覚えてますか?」との再度の問いに対し、「覚えてる。」と答えたので、「どうして怪我しました?」との質問をしたところ、被控訴人は「どうして」と反復するのみで答えず、更に「どうして?」と問いを重ねたところ、側にいる節が「どうしてって意味がわからない。」と介入したので、中谷は、「どこで怪我した?」と質問を変えたところ、「三階の」と答えた後聞き取れない言葉を続けたので、「三階?、三階って学校の?」と尋ねたところ、「学校の三階の着替えする隣の向こうの、…。」と言ったので、中谷が「着替えする隣の向こう?それは怪我をした所、場所を言っているの?ところを?」と確認すると「そう。」と答えた。中谷は質問を「そこで、怪我した時はね、どういうふうになったの?その時の様子?」と続けたところ、被控訴人は「ようす?」と反復し、中谷は「どう言えばいいのかな。」と自問した後、「怪我したとき、どうして怪我したか、おじさんに話してくれる?」と尋ねると、被控訴人は「アハハ」とひとしきり笑ったのち「わかっとるって。」としゃべったので、中谷は「ん?三階へひとりで行ったの?」と尋ねると、被控訴人は「先生と行ったの。」と答え、中谷が「誰?」と質問を続けると、被控訴人は「村山先生と行ったもんだで。」と答え、中谷が「村山先生と行ったの?」と確認をとると、被控訴人は「うん。」と答えた。そこで中谷は「村山先生と三階に行って、どうなったの?」と尋ねると、被控訴人は「覚えてないなあ……。ちんちんと……。」と言うのみであったので、側から節がなにかいうと、被控訴人は「ちんちんと目を押さえてね。」と答えたので、中谷は「何を押さえた?」と質問を続け、被控訴人は「目を押さえて、やった。」と答え、中谷が「目を押さえてやった?」と繰り返すと、被控訴人は「ギューッと痛くなるまでやった。」と答え、中谷が「誰が?」と尋ねると、被控訴人は「村山先生がやったの。で、ちんちんが臭いよーって言って、あのー、ちんちんはやってない、目だけだわー、目だけだわーって言って。」と述べたので、中谷が「ちんちんやってない、目だけだわと言ったの?」と確認すると、被控訴人は「そう、目だけだわ。」と答えたので、中谷は質問を「ギューッてやったあとは、目が痛くなったの?」と尋ねると、「そう。」と答えた。そして、「そのあとどうした?」と質問すると、被控訴人は「そのあと……。」と答えがなく、中谷が「創君、覚えてなければ覚えてなくてもいいけど、どうだったの?そのあと、どうしたか覚えていますか?」と尋ねても、被控訴人は答えず、側から節が「少し考えて……。」と口を挟むと、中谷は「ああ時間をね。」と独り言をいうと、節は被控訴人に「そのあとどうしたの?」と答えを促し、被控訴人は「そのあと。…」と言ったあと、中谷の「三階へ行ったでしょう?」の促しに「うん。」と答えた後、中谷の「それでギューッとしたあとどうしたの?」との問いには「そのあと…。」と言った後には「フーッ」と溜め息をつくのみであったので、中谷が「ずっと三階にいたの?どっかに行ったの?」と尋ねると「三階におった。」と答えたが、再び中谷が「三階に行ってギューッとして、そのあとはどうした?」と尋ねると「職員室へ行って、…。」と言うので、中谷が「職員室へ行った?」と促すと、被控訴人は「小出先生が目を見せて、…したの。」と述べ、中谷が、「小出先生に目を見せた?」と尋ねると、被控訴人は「うん。」と答えたので、中谷は質問を終えた。

(2) 次に、本件学校側職員の佐藤ゆう子教諭(職業・家庭科の紙漉きグループにおける被控訴人の担当教諭)が被控訴人に質問することになった。

佐藤の質問に対し、被控訴人は当初質問者の佐藤が、直前までの被控訴人の担任であったにもかかわらず、誰だか分からない旨述べてやり取りがあった後、佐藤が、先の質問者について尋ねると、「弁護士のおじさんなの。知ってる。あの会社の下のところの(不明の言葉があり)の人。あの隣のところにいる弁護士のおじちゃん。」と比較的長く述べたあと、佐藤が、中谷から聞かれたことについて、被控訴人が母親である節にどのように話したのか、尋ねようとしたが、被控訴人は「むずかしいな。お話がむずかしいよ。…さっき自動車の中でしとったで、わからんよ、弁護士しかわからんから、佐藤ゆうこ先生はわからないよ。…どういう話か、どういう話かわからない。」と拒絶の態度を示し、佐藤が(先程の質問で)、「ギューッと痛くなるまでやったって言ったでしょう?」と聞いて、被控訴人から「言った。」との返事があったのを受けて、「その日に、森田先生が『どっか痛いか?』って聞いたら、創君なんて言ったか覚えてる?」と尋ねると、「覚えとらん。」と返事し、佐藤が「覚えていない?」と再度質問すると、被控訴人は側の節に対して「お母さんどうだったと思う?」と助けを求め、節が「お母さん知らない、いいよ。」と言うと、被控訴人は「まだ、話ある?」と質問の継続を嫌うかのような発言をした後、佐藤が質問を続けて「目のことね、お母さんに話したでしょう?それ、いつお話したのかな、覚えてる?」との質問に対して、「今日。」、「今日のお昼の…ころ」、「会社」、「あそこのね、ちょうど地下鉄のところの目の前、あのあそこ、あの五階のところ(注、被控訴人代理人事務所の趣旨と解される。)のね、あそこなの。」と述べ、佐藤が、再度「じゃあね、今日じゃなくてね、目、怪我した時のことを初めてお母さんにお話したのはいつかなあ?」と尋ねると、二度「ないよ。」と答え、側の節に向かって「お母さん、目って何時怪我したことを知ってる。お母さん当ててよ?」と助けを求め、佐藤が「お母さんが当てるんじゃないんだよ、創君が言うんだよ。創君がお話した時はいつかな?」と言うと、三度目の「ないよ。」との答をし、佐藤が「しないの?」と尋ねると、節がなにか口を挟んだが、被控訴人は「ないよ。ないよ。」、「話がないの。」、「あのー、佐藤ゆうこ先生はわからない。」「お話が、創君の言ってる意味がわからないの。」と拒絶の意思を表し、佐藤が、再度「じゃあ、もう一回ね、目、怪我した時のことね、お母さんに初めてお話したのはいつかな?」と尋ねると、「先週のずっと前の木曜日。」と答え、「木曜日っていうと?」と確認されると「粘土する前。」と了解不能の答えをしたので、佐藤は、被控訴人がいつ母親にどのように話したのか聞き出すことはやめて、本件体罰の当日のことを聞くこととし、補助参加人と三階に行く前に何をしていたのかを尋ねたが、被控訴人は「お母さん何なの?…わからないよ。」と母に助けを求める趣旨を言い、三階へ行く前にどこにいたのかについて尋ねても意味のある返答はなく、佐藤教諭が「じゃあ創君ね、三階にね、村山先生と一緒に行った時ね、村山先生、何か持ってた?」と尋ねると、被控訴人は「持ってない。…何も持ってないよ。」と言い、佐藤教諭が「何も持ってない?」と言うと、「村山先生、何時くるのかなこわい。…(聞き取り困難)」と言い、節が側から口を出すと、被控訴人が「ちんちんを…(聞き取り困難)ぼくはやってませんって。」と言い、佐藤教諭が質問を変え、「じゃあ、創君ね、三階でお勉強する時ね、立ってやったの?座ってやったの?」と尋ねると、被控訴人は「立って。座るわけないがね、立ってやったんだがね、座るわけないよ。」と言うので、佐藤が「どうして?」と尋ねると、「座るのだって、あれは着替えする時だよ。もう、覚えてよ、もー。」と質問自体を拒絶する態度となり、意味不明のことをしゃべり、節が側から何か口を挟んだので、中谷は「よろしいですか?」と佐藤の質問を終了させた。

(3) 最後に、本件学校側の松井教頭が、被控訴人に質問した。

松井教頭が、「創君、創君、先生小さいときの創君覚えてるけどなあ。久しぶりだな、創君がいろんなことを思い出すのを、手伝ってあげようかね。ねえ、運動会はあっただろう?」と話を切り出し、被控訴人が「うん。」と応じるのを受けて、「ちょうど目、痛かった時のあとに運動会あったの覚えとるか?運動会を思い出すといろんなことを思い出すかも知れんよ。」と話しかけると、被控訴人は「思い出せない…(聞き取り不能)。」と述べ、松井教頭が更に「運動会の少し前のことだけどなあ。いろんなこと思い出せないか?今の先生の質問?」と問いを重ねると、被控訴人は聞き取り不能のことを述べ始めたので、中谷は被控訴人への質問を終了させた。

以上のとおり認められる。

(二)  4・3供述の信用性について

右の事実によれば、被控訴人は、4・3供述中の中谷弁護士の質問に対する答えの中で、断片的ながらこれをつなぎ合わせると、補助参加人に、本件学校の三階に連れて行かれ、陰部を手で押さえられ、次いで、右眼を手指で痛くなるまで強く押さえられた後、職員室へ連れて行かれたとの趣旨の供述をしていると一応いうことができる。

しかしながら、補助参加人の反対供述の存在を考慮の外に置いても、右供述自体には、以下の(三)で述べるような疑問点や不十分な点があり、また、(四)で指摘するとおり、右供述は、客観的状況との整合性の点でも疑問を残すものであって、それだけではただちには、採用できないものといわなければならない。

(三)(1)  4・3供述は、本件体罰後七か月経過後の供述であるが、3・3供述と比較すると、時期の遅い4・3供述の方が、節の援助を受けずに答えられる場面が増えており、また、学校側の質問に対する回答よりも中谷弁護士に対する回答の方が明確であることが際立っており、学習をした結果ではないかとの疑問が残る上、4・3供述においても、節の援助を得て、本件体罰に関する供述を始めることができたことと、被控訴人が答えに詰まると側に居る節の援助を求める傾向は顕著であることからすると、4・3供述も節の影響下でなされたものであることは明らかであり、それでは、その供述のどこまでがその当時の被控訴人の記憶に基づくものか判然としないといわなければならない。

(2)  裁判の場における供述は、それがいったん採用されると他人の権利(人権)が損なわれる結果に結びつくものであるから、他の生活場面における信用性の程度とは異なり、その信用性は法廷における反対尋問を通じてあらゆる角度から吟味される必要があるところ、被控訴人の4・3供述は、学校側の質問を一応受ける形を採ってはいるものの(ここでは被控訴人供述が法廷における反対尋問を経ていない点については触れるものではない。)、質問者が変わったり、質問の角度が変わると、本件体罰に関する被控訴人の供述の再現性が失われ、そのことの結果として、それ以上の突っ込んだ吟味ができなかったものであり、したがって、その信用性が十分に吟味されたものとは言い難い。

(3)  4・3供述は、いわば骨格だけの供述であり、本件体罰前後の補助参加人の行動、被控訴人と補助参加人とのやりとり等細部にわたる情景描写がなされているとは言い難いものがあり、したがって、それだけでは、補助参加人の本件体罰に至る背景や動機を解明する手掛かりとしては十分ではない。

(四)(1)  補助参加人が被控訴人を連れて三階生活訓練室に連れていったのが一二時四五分ころであり、本件傷害を発見して二階に降り森田教諭にその旨を告げたのが一二時五〇分ころというのであるから、本件体罰が行われたとすると、被控訴人の行動や表情に、眼め痛みを訴えるとか、補助参加人を怖がるとか、興奮するとかの、何らかの変化や異常が認められても然るべきであるのに、本件体罰直後に被控訴人に接した森田教諭、小出教諭、安井養護教諭らは、これを認めていない。

(2)  本件直後、補助参加人以外の小出教諭、安井養護教諭らが繰り返し、被控訴人に対し、本件傷害の原因を問いただしたにもかかわらず、被控訴人は、補助参加人による本件体罰の事実を述べた事実はない。

(3)  仮に、本件体罰が被控訴人主張のとおり補助参加人によって行われ、その結果本件傷害を負ったものであるとすれば、補助参加人は一二時四五分ころ被控訴人を連れて三階生活訓練室に行き、そこで本件体罰を行い、その結果被控訴人に本件傷害が発生したのに驚いて、一二時五〇分ころには二階に降りたことになるが、時間的経過としては余りにも短すぎて、不自然である。

(4)  被控訴人の主張によれば、本件体罰の内容は性器に対する暴行といういかがわしいものを含むものであるが、補助参加人がこれを行う目的で被控訴人を三階に連れていったものであるとすれば、その行動を他人に知られないようにするのが通常であろうと思われるのに、補助参加人は被控訴人を三階に連れていくことを同僚に断った上で行動している上、本件体罰の結果本件傷害を惹起したとすれば、通常は狼狽して、行動の迅速を欠くことになると思われるのに、なんら隠蔽工作を行うことなく、これを告げに直ちに二階に戻っているのであって、これらのことは、むしろ補助参加人が本件体罰を行っていないことを推測させる状況といえる。そして、仮に性器及び眼に対する暴行に関する供述が、被控訴人の実体験による記憶に基づいてなされたものであるとしても、上記の客観的な状況と符合しないことがあることに照らすと、他の機会における、又は補助参加人以外の者による暴行と混淆して供述している疑いすらあるものといわなければならない。

(5)  節は、被控訴人が登校を嫌がるほど補助参加人を怖がっていたというが、本件学校内においては、被控訴人のそのような態度は現認されていない。

(五)  なお、被控訴人は、被控訴人供述に信用性があるとする証拠として、小野宏証言等(〔証拠略〕)、石川憲彦意見書(〔証拠略〕)、篠原睦治意見書(〔証拠略〕)、原千賀子意見書(〔証拠略〕)を援用するが、これらは、いずれも、障害児に日常接している専門家の立場から被控訴人供述の信用性に言及したものではあるが、いずれも、被控訴人供述が客観的状況に符合しているかとの観点からの検討はされていないものであり、また、裁判上の証拠評価の場面における信用性の意義を踏まえてのものとも解せられない。そして、仮に、被控訴人のような知的障害者は、殊更に虚偽の事実を述べようとか、体験していない事実を体験したものとして述べようとする能力にも欠けるものとしても、本件の場合においては、被控訴人供述にさきに指摘したような数々の疑問点があって、外部からの影響による記憶の混淆や変容の可能性のあることは前記認定のとおりであるから、右各証拠のみを根拠として、被控訴人供述に信用性があるとすることはできない。

(六)  以上検討したところによれば、好彦、節の伝聞供述、被控訴人の3・3供述及び4・3供述には、それぞれ、問題点や疑問点が認められ、これを払拭するに足りる証拠はないから、これらを個別的にみても、総合してみても、ただちには採用し難いものといわなければならない。

四  本件傷害の部位程度等について

被控訴人の本件傷害の内容を検討するに、〔証拠略〕を総合すると、南生協病院の城山医師は、本件体罰当日被控訴人を診察し、被控訴人の右眼外側(耳側)に直径約三ミリの結膜下の出血斑を認め、右眼結膜下出血を診断したこと、その際、城山医師は、節から被控訴人の本件傷害の原因はプロレスごっこであると聞き、カルテに右診断名のほか「右眼球打撲症の疑い」と併記した上、その見地からも診察したが、右出血点以外には眼底、前房部、結膜面等に打撲症特有の症状や損傷を認めなかったため(ただし、カルテ上、眼底の診察に際し、被控訴人が患者として協力してくれなかった旨の記載がある。)、城山医師としては、「右眼結膜下出血」と診断するに留まり、「右眼球打撲症」と確定診断するまでには至らなかったこと、ところで、眼科医においては、結膜下出血は、日常的によく見られる症状であり、しかも、原因が不明な場合が九〇パーセントと多く、内部的原因によることも多く必ずしも外力によるものとは限らないこと、また、時間の経過とともに出血斑は自然消失し、予後も良いことから、余り重大視をされていない疾患の一つであること、そこで、城山医師は、当日の治療としては点眼薬を二種類投与したのみで、安静等の指示はとくに与えず、経過観察のため被控訴人に一週間後の再度来院を指示したのみに留まったこと、そして、被控訴人は、一週間後の同年九月二九日に、再度、南生協病院で診察・治療を受け、さらに二週間後の通院を指示されたので、同年一〇月一二日に通院して診断を受けたところ、既に症状は消失していたことを認めることができる。

ところで、節は、〔証拠略〕において、被控訴人に「右瞼の赤い腫れ(皮下出血)は真っ赤で、しかも引っかいたような皮膚のめくれ」があったことを強調するが、〔証拠略〕によると、城山医師は診察の際そのような異常所見が認めたときは、カルテに記載するようにしていると供述するところ、カルテ上にはそのような記載がないことが認められることからすれば、節の右供述はただちには採用することができず、他に、本件傷害が外力によるものであることを確定するに足りる証拠はない。

そうすると、本件傷害の症状自体からは、本件傷害が打撲等の外力によるものとは確定できないこととなるが、仮に本件傷害が外力によるものだとしても、〔証拠略〕によれば、被控訴人は、同じ学年の蔵政貴と一緒になると静かにしていることはなく、教師の注意にもかかわらず日常的にプロレスごっこをしていて、高等部一学年在学中に怪我をしたこともあり、本件体罰の当日の昼休みにも被控訴人と蔵政貴が一緒にいたことから、担任教諭らの目の届かないところでプロレスごっこをして本件傷害を受傷した疑いも払拭できないことが認められる(節でさえも当初はプロレスごっこによる受傷を疑ったものであることは前記認定のとおりである。)。

結局、本件傷害の部位程度等からは、それが、本件体罰の結果であると断ずることはできず、そうだとすると、本件受傷をしたことが被控訴人の前記供述の信用性を補強するものということもできない。

五  本件体罰の動機・原因について

被控訴人は、本件体罰当日の午前中における集中力を欠いた被控訴人に対し立腹し、本件体罰に及んだものである旨主張するが、しかしながら、補助参加人による被控訴人の性器及び眼に対する暴行があったとすれば、それは単なる体罰以上の異常な行動といわざるをえないが、かかる異常な行動の動機・原因を合理的に説明できるだけの証拠はなく、動機面からも、被控訴人供述を裏付けることはできない。

なお、補助参加人が、午前中の授業で落ち着きを欠いて集中しなかった被控訴人に対し、集中力を取り戻させて、落着いて作業をするようにとの働き掛けをするための、個別指導の場所として、本件学校三階の静かな場所を選ぶこともあながち誤ったものであるとも断定できないから、被控訴人を三階に連れて行ったことが不自然であり、本件体罰の動機を裏付けるとすることもできない。

六  その他、被控訴人は、被控訴人の主張を支持するかのような記載のある陳述書等を援用するが、その内容はいずれも直接本件体罰に関するものではないことが認められるから、上記判断を左右するものではなく、他に、右被控訴人主張の本件体罰が行われたことを認めるに足りる証拠はない。

七  以上によれば、補助参加人が被控訴人に対し、被控訴人主張のような体罰を加え、これにより本件傷害が生じたとする被控訴人主張の事実の立証が十分とはいえないから、その余の点について判断するまでもなく、被控訴人の請求は理由がなく、棄却すべきものである。

第五 結論

よって、右と結論を異にする原判決は不当であるからこれを取り消し、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺剛男 裁判官 菅英昇 筏津順子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!